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幕末にヤーコブ・グリムを訪問した日本人 ―鹿児島とグリム兄弟をつなぐもの―
講演の概要
1862年7月19日から8月5日の間に3人の日本人が、ベルリンのグリム家を訪問した。あまりの珍客にヤーコプ・グリムは驚いたが、彼らとオランダ語で会話した。日本人が遣欧使節団員であることは確かである。しかし、その氏名については不明のままである。グリム側の記録には訪問の事実が明記されているが、日本側の記録には何も書かれていない。日本人が土産に渡したという漆塗りの香箱と肖像写真2枚は紛失してしまい、詳細は迷宮入りしたままである。
鎖国下の幕末で攘夷運動が叫ばれていた頃、規則違反を犯してまでグリム兄弟を訪問した日本人は、いったい誰だったのだろう。ヤーコプとオランダ語で会話したようだが、何について話したのだろう。使節団の訪問予定に含まれていない人物を、上司の許可を得ることなく独断で訪問を断行した肝の座った日本人、オランダ語に堪能な日本人、自分たちの肖像写真を渡す写真好きな日本人、無断訪問が明るみに出たら厳罰に処されるので、記録に残さないよう細心の注意を払った思慮深い日本人、それはいったい誰だったのだろう。
調査の結果、その3人は福沢諭吉、箕作秋坪、松木弘安(寺島宗則)であることが判明した。初めてドイツに行きヤーコプ・グリムを訪問した日本人のなかに、阿久根市出身の松木弘安がいたのである。これは日独文化交流史を塗り替える情報だ。この講演では松木弘安の貢献に焦点を当てて、ヤーコプ・グリム訪問の動機と会話内容について推測していく。
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